ドラマや映画で活躍中の俳優、山田裕貴さん。
そんな山田裕貴さんのお父さんはもろプロ野球選手の山田和利さんだと判明しています。
山田裕貴さんはどのような経緯があって俳優を目指すようになったのでしょうか?調べたところ、
- 父がプロ野球選手の山田和利
- 山田裕貴も中学までプロを目指していた
- プレッシャーと挫折を経験して俳優を目指すようになった
ということがわかりました!
この記事では、山田裕貴さんと父・山田和利の関係と挫折を経験し、芸能界入りした感動エピソードなどをご紹介していきます。
山田裕貴の父は元プロ野球選手の山田和利
まずは、山田裕貴さんの父・山田和利さんについてご紹介していきます。
山田和利さんは1983年の18歳時、ドラフト4位で中日ドラゴンズに入団し、7年間在籍。
1991年26歳時にトレードで広島東洋カープへ移籍し、5年間活躍した内野手です。
1試合に3本塁打を打つほどのパワーを持った選手で有名だったようですよ。
現役の通算成績は
- 出場:366試合
- 打率:262
- 打点:102
- 出塁率:341
俊足で出塁率の高さと打撃力のある選手で、1996年の31歳時に再びトレードで中日ドラゴンズに移籍したのですが、故障のためやむなく引退となりました。
プロ野球選手の平均引退年齢は約29年と言われており、平均よりは少し長くプレイしていますが、故障がなかったらもう少し長くプレイできたはずです。
引退してから15年経った2011年の46歳時、広島東洋カープのコーチに就任されました。
プロ引退後の50%が球団職員になると言われているので、引退してからの15年間は球団職員をされていたのかもしれませんね。
そこからコーチをすることになるのですが、翌年の2012年の47歳時、球団編成担当になります。
球団編集担当とは、選手のスカウトや海外視察、監督・コーチ・スタッフの人事・年俸査定などの裏方になりますが、球団運営の大事な役割を担っています。
そして、2015年の50歳時から再びコーチに復帰。
現在も広島東洋カープの守備・走塁コーチをされています。
これまで沢山の仕事をされてきた和利さんなので野球界の酸いも甘いも知り尽くしている存在なのでしょう。
必要とされている人材と言えるのではないでしょうか。
山田裕貴はもとプロ野球選手である父のプレッシャーを感じていた
実は、山田裕貴さんも小さい頃から野球をしており、小学校・中学校では硬式野球チームに所属。
ピッチャーとして活躍されていました。
野球を始めたきっかけは、単純に
「父親がプロ野球選手だったから」
「4歳、5歳の時からテレビで父親を観ていたことが大きかった」
という理由からのようです。
その後は、野球にのめり込みましたが、徐々に父親の存在がプレッシャーになり、チームメイトにも
「プロ野球選手の息子なのに」
という重圧があったとのこと。
さすがに幼少期の期待やプレッシャーはかなり大きかったのでしょう。
プロ野球選手の息子ならではの葛藤があったかと思います。
そのプレッシャーに負け、中学には野球を辞めてしまいました。
その後、高校へ進学しますが高校時代の部活はバレー部だったようです。
確かに父親がそこまで偉大な人であるということは、自分の同じようにならないといけないというプレッシャーを感じるはずです。
周囲の期待もかなりのものだったでしょうし。
しかし、父親の野球遺伝子は必ず受け継いでいるはずなので、続けていれば俳優ではなくプロ野球選手になっていたかもしれませんね!
山田裕貴の父山田和利から指導されプロを目指した過去
父親が野球選手だということで、山田裕貴さんも一時期はプロ野球選手を目指していたようです。
幼少期は父親から野球の指導を受け、小学校・中学校ではリトルリーグとシニアリーグで野球漬けだったようですよ!
どのようなに小学校と中学校を過ごしたのかご紹介していきましょう。
山田裕貴は父山田和利の影響で小学校からリトルリーグでプレー
山田裕貴選手は自然に野球への道を進むことになり、父親のようにプロ野球選手になりたい一心で、小学生の頃は野球の練習に打ち込むようになります。
名古屋市出身ということで名古屋市内の市立高見小学校に通っていた山田裕貴さんは、名古屋市内のリトルリーグに所属し硬式野球を始めます。
所属していた時に全国大会に出場するなど、小学生時代の野球生活は充実しており楽しいものだったのでしょうね!
中学校のシニアリーグでの挫折を経験
名古屋市千種区にある市立若水中学校に入学した山田裕貴さんは、名古屋市内のシニアリーグ「名古屋北シニア」で硬式野球を始めます。
当時の山田裕貴選手がこちらです。
名古屋北シニアは全国大会に度々出場する強豪チームでした。
そこで、実力の差や現実を見せつけられる出来事が多く起こったのです。
山田裕貴さんのポジションはピッチャー。
仲間に自分より強いピッチャーがいたころからレギュラー出場はほとんど叶いませんでした。
父親の和利さんと同じで俊足だった山田裕貴さんですが、バッティング力が弱く打席に立つことも少なかったようです。
プロ野球選手の父を持つ自分が、野球で結果を出せないことに、かなりのコンプレックスを抱える中学生時代だったとのことで、挫折を経験し野球を辞めてしまいます。
その時の気持ちをインタビューでこのように語ってくれています。
「プロ野球で活躍する父の背中を追いかけて野球を始めたが、上には上がいてプロ野球選手になれないのではないかと思い、自分で蓋をしてしまって、辞めてしまったんですよ。」
「本当に褒められたことがなかったんで、褒めさせたいというみたいなのもあるんですよ。」
「どうしても、近い存在に壁が、父親という壁があったりだとか、チームメイトも「プロ野球選手の息子なのに」って言われたりして、自分では無理なんじゃないかと思って、中学校で野球をやめてしまって…」
父である和利さんは山田裕貴さんに野球を強要することはなかったそうなのですが、憧れの存在に対する現実とのギャップや周囲からの期待で心が折れてしまったのでしょうね…
高校時代は父の母校へ進学するもバレー部に所属
中学校で野球に対する大きな挫折を経験した山田裕貴さんは東邦高校に進学します。
東邦高校と言えば、父の和利さんの母校でもあります。
共学の私立高校で野球の名門校としてかなり有名のようですね!
2019年には高校野球選抜で優勝しており、その際山田裕貴さんは
「甲子園には特別な想いがあり、自分の事のように感動しています。」
とコメントされました。
東邦高校ではバレー部に所属。
当時の画像はこちらです。
野球を断念してしまった山田裕貴さんですが、
「有名になりたい」
という思いは、かなり強く残っていたようです。
山田裕貴は父山田和利を超えるために芸能界入り
山田裕貴さんは高校時代に俳優になる道を選びます。
きっかけは
そっち側に行けば見てもらえるのかなと思って。テレビに出る回数なら父親を超えられるんじゃないかと思って。
と語っておられました。
その時のインタビューありました。
野球で父親を超えることができなかったですが、どうしても父親を超える存在になりたいという気持ちが強かったようです。
芸能界入りを決めた山田裕貴と父山田和利のエピソード
山田裕貴さんが野球に対して挫折を経験した際に、父の和利さんは
「自分でやりたいと言ったことを、なんで最後までやり遂げなかったんだ」
と言ったそうです。
野球を辞めたことに怒ったのではなく、自分で決めた意志を貫き通さなかったことに怒ったようですね。
その言葉がきっかけとなり、山田裕貴さんは
「次にやることは何があっても続けよう」
と心に決め、映画やテレビの世界に憧れて俳優を目指すことになったそうです。
俳優として活躍してからも
「道は違うけれど、父親が自分のことをプロとして認めてくれている。それが俳優としても原動力になっていると思います。」
と語っておられましたね。
自分で決めたことをやり続け俳優として成功して以降も、父である和利さんの影響力が大きいということでしょう。
父親に憧れて夢を見て、偉大さの前に挫折し、父親の言葉で新しい道へ進み、父親に認められるために諦めないという人生。
父親の偉大さがどれだけすごいものなのかよくわかりましたね。
2018年山田裕貴の父山田和利の背番号をつけて始球式に
そんな山田裕貴さんですが、2018年には
「父の背番号をつけて始球式に出る!」
という目標を掲げます。
そして、その目標が叶う日が…
その前に!どれほど球を投げることができるのか…
ご覧になってください。
どうですか?
中学校で野球を辞めた方とは言えないくらいの剛速球ですよね…
その剛速球を胸に秘め、2018年8月10日、名古屋ドームで行われた中日ドラゴンズ「ブルーサマーシリーズ2018」の開幕戦の始球式を務めました。
背中を見ると背番号「30」。
父・和利さんの背番号です。
始球式後のコメントでは
あの頃、父の背中を追いかけていた自分を思い出して、この場所で始球式ができたことに貴重な意味を感じています。
と涙を浮かべておられました。
【まとめ】山田裕貴は父山田和利を超えるために俳優を続けていた
今回の記事をまとめると
- 山田裕貴の父親は元プロ野球選手の山田和利
- 山田裕貴もプロ野球選手を目指し小・中学校では硬式野球をしていた
- シニアリーグで挫折を経験し野球を辞める
- 高校は父親と同じ東邦高校に進学するもバレーボール部所属
- 父親の言葉がきっかけで高校生の頃に芸能界入りを決意
- 父の背番号を付け目標であった始球式へ
現在はカメレオン俳優として大活躍している山田裕貴さんですが、学生時代は随分色んな経験をされてきたのですね。
しかし、挫折を経験し偉大な父親がいたからこそ、今の山田裕貴さんが存在しているのだと思います。
今後の活躍もとても楽しみな俳優さんですね。